「眼指」
 

この楽曲はお久しぶりの、否、お久しブリーフの狩姦作の曲です。実は10年近くも前に狩姦からデモが手渡されていた楽曲ですが、収録すべきアルバムの到来を待ち続け、ようやく今回の『風神界逅』に収録と相成りました。最初にデモを聴いたときから「これは良い曲だ!」と思い、夜な夜なデモを聴き返したりしていましたので、僕がこの曲のファン第一号だと思っています。

狩姦が作ったデモはメモ録りに近いシンプルなものでしたが、今回収録されているような仕上りを予見させるポテンシャルを秘めていたということですね。この楽曲が今回収録の日の目を見たことで、一番嬉しいのは僕かもしれません。

歌詞は眼指が持つ力とその重要性についての内容です。目は口ほどにものを言うと言いますが、時として口よりも目こそがものを言うこともあるのではないかという着想を基にしています。これは人にもよりますが、じっとこっちを見てはくれるが、一切口をきいてもらえない状況と、会話はいくらでもしてくれるが、ただの一瞬たりともこちらを見てもらえない状況。どちらがより耐えがたく、相手の自分に対する気持ちが毀れていると感じるか……場合によっては、後者なのではないかというお話です。穏やかな曲調と黒猫の歌声がとても心地好いですが、とても遣る瀬無い場面を歌っているのですね。



| 楽曲解説 | 16:59
「雲は龍に舞い、風は鳳に歌う」
  

雲は竜に従い風は虎に従うという諺をもとにして黒猫が命名したこのタイトルには、陰陽座の家紋が表す陰陽座の信念と結束への想いが込められています。歌詞の内容もまさにそれを歌ったものです。

とにかく壮大にして繊細、勇壮にして華麗なこの楽曲の世界観と雰囲気は、これを着想した黒猫の底知れぬ感性を証明していると思います。最初僕に手渡されたデモはピアノの伴奏に歌メロが乗っただけのものでしたが、黒猫からリズムやオーケストレーションのイメージを説明してもらうことでかなりイメージが拡がったため、それを脳内で膨らませ、最終形に近いアンサンブルを想像することもさほど難しいことではありませんでした。デモを受け取ったあとは僕が実際に各楽器パートをプログラミングし、バンドのパートを重ね、イントロや間奏その他のセクションを追加してオケを仕上げました。そのオケを聴きながら黒猫自身が改めて拡げたイメージをもとに歌が吹き込まれて完成したわけですが、本人がこだわりぬいただけあり、この楽曲での黒猫の歌は言葉では表現しきれないほどの絶妙な表情や響きを持っています。

いわゆるバラードと言い切れるものではなく、かといってロックと呼ぶのも憚られる……ジャンルやカテゴリーという視点では捉えようがないにも関わらず、どこからどう聴いても陰陽座を感じるというこの楽曲は、間違いなく陰陽座の信念そのものを照らし、陰陽座の音楽性を拡げ、そしてその可能性を示すかのように響き渡っていると僕は思います。



| 楽曲解説 | 16:57
「故に其の疾きこと風の如く」
 

就寝前に人生は何故にかくも疾く過ぎゆくのかなどと考え始めるとあっという間に太陽が子午線を通過しますが(何時に床に就いている?)、明確な答えは有り得ないながらも自分だけが納得できる屁理屈をひねり出すことくらいはなんとかなることがあります。その成果がこの楽曲です。

『孫子』の軍争篇の一説を取り入れたこの楽曲のタイトルは、作曲するより先に決めていました。こういう名前の曲を作ろうと意図して制作に臨んだということですが、まず僕はタイトルの其のという部分に着目しました。そして何が風の如く疾いのかと自分に問い掛けた直後、前述の通り夜な夜な考えていた話題に思い至り、疾いと言えば人生だと結びついたわけですが、それだけでは不十分です。故にというからには、少なくともこの楽曲の中では人生がかくも疾く過ぎゆく理由を見つけなければなりません。

そこで僕はこう考えました──前もって付け加えますが、これは飽くまでもこの楽曲という単位で成立させた一つの考えに過ぎず、人生はこういうものだと言い切ったり、答えを見つけたかのような気になっているわけではまったくないという前提でのお話です──人生が風のように疾く過ぎることに納得のいく理由があるとすれば、それはその速さそのものを愛おしみ、感謝できるような理由でなくてはならないはずです。もしも人生が誰にとってもいつまで経っても終わらない長い(遅い)ものであり、誰もが今わの際にようやくこの長すぎる人生が終わる。せいせいするとしか思わないとしたら、それは不幸なことだと言わざるを得ません。もちろん、実際にこのように感じてしまう人生もあるでしょう。しかしだからこそ、その逆、つまり人生はあっという間だったと思えることは、そう感じるに足る人生を歩めた証拠であり、それこそが幸福なことである。故に、そう感じられるために人生は疾い……のでは、というのが僕の、この楽曲に於ける持論です。

人間、有り余っているものへの感謝はしづらいですが、稀少なものを有り難がることは言われなくてもできます。それを人生やその絶対時間になぞらえただけの、極めてシンプルな考えです。言われてみれば何のことはない、当たり前の話じゃないかと思うかもしれませんが、当たり前のことほど改めて意識する機会がないものです。何故それが当たり前なのかをあえて掘り下げることがあってもいいと、僕は思います。

疾ければ疾いほど、それを愛おしみ、感謝する気持ちは強くなる。だからこそ人生は、風のように疾く過ぎ去る。これが、この楽曲のテーマです。このテーマを、憂いあるメロディックなヘヴィメタルへと昇華したこの楽曲は、『風神界逅』のハイライトの1つだと思っています。



| 楽曲解説 | 16:55
「春爛漫に式の舞う也」
 

過去のツアータイトルを、後に発表する楽曲のタイトルにするということが陰陽座ではままありますが、これは陰陽座で唯一、発表後に中止になったツアーのタイトルです。中止の経緯を説明すること自体がそれを売りにすることになるので控えますが、この楽曲は、そのツアーが中止になったときにファンの皆さんが陰陽座に向けてくださった、惜しみない慈しみと労りの心に対して陰陽座が感じた気持ちと、それとは関係なく常日頃から感じている感謝や親愛の気持ちを臆面もなく歌にしたものです。

日頃から、ライヴの関係者などから「陰陽座のファンみたいな素敵なファンを見たことがない」と、よく言われます。そのたびに僕たちは、自分たちが褒められるよりも嬉しく誇らしい気持ちになるのですが、このことには本当に感謝してもしきれません。なぜなら、ファンはバンドを選べますが、バンドはファンを選べないからです。なのに僕たちは、望んでも決して得られないほどの素晴らしいファンの皆さんに支えられています。このことに感謝せず、何に感謝をすれば良いのか。そういう気持ちで書いたのがこの歌詞です。いつものように古語や方言をまぶして照れ隠しすることすらやめたのは、たまには真っ直ぐ感謝の気持ちを書いてみたらどうなのか、と自分に対して思ったからです。そしてそれを実行して良かったと、完成してから確信しました。

僕たちのこの気持ちが、すべてのファンの方に届くことを願っています。



| 楽曲解説 | 16:55
12th Album『雷神創世』
 mtb093.jpg

 

(いかづち)をキーワードに制作された、陰陽座の12作目となるアルバム。という言葉から想起される激しいイメージの楽曲が収録されているのは当然ですが、そこは陰陽座の作品。の要素はしっかりと盛り込まれていますし、むしろ「なるほど、雷という言葉や現象にはそういう捉え方もあるのだな」と発見していただけるような楽曲もあると思います。そして何より、それらすべての要素が陰陽座という雲から雷となって放たれるこの作品は、12作目にしてなお滾りに滾った陰陽座の魂の熱さを感じていただけると確信していますし、『風神界逅』で示した新たな陰陽座の音楽世界と変わらぬ核の部分を、さらに強固に束ねるような力を持った強力無比なアルバムだと自負しています。



| 楽曲解説 | 16:53
「雷神」
 

『風神界逅』の「風神」がインストゥルメンタルだったので、この「雷神」もそうだろうと予想して当然ですが、こちらは歌入りの楽曲です。人類が此の世に誕生し、一番最初に雷を見たときと、人類が此の世で最後の雷を見るとき。その風景は、同じものなのではないかという想像が着想となりこの楽曲へと発展しました。「どこまでも続く荒野に人々が佇む。雷雲立ち籠める空を見上げるその表情には、諦観とも畏怖とも取れる色が浮かぶ。やがて雲を裂き、すべてを震わせる一筋の雷光が大地を打つ」……なんて言うと、原始の風景でもあり終末の風景でもあるような気がするではないですか。

“神鳴るからかみなり。この発想と音の響きの美しさ、そして圧倒的に漲る力と、無条件でおぼえる畏怖の念。その化身を雷神と位置付けた、『雷神創世』の序曲であり、ある意味で象徴でもあるのがこの楽曲です。

ループするようなリズムの上で、歌とその他の楽器が雷鳴が轟く瞬間までの緊張感を高めていくような、独特の雰囲気と空気感を持った楽曲に仕上がっており、まさに創世を感じさせる力に満ちていると思います。



| 楽曲解説 | 16:51
「天獄の厳霊」
 

西洋の考えですが、地獄と天国の間に煉獄というものがあり、天国に昇る前に魂の浄化をしてくれるそうです。この楽曲で歌われる天獄は僕が勝手に創作した施設(?)ですが、真逆の役割を持っています。絶対に地獄に落ちるべきなのに天国へと昇ろうとする魂を未然に捕らえ、その兇状と同等の方法で贖いをさせる、それが天獄です。

具体的に何のことを言っているのかについては、こういう場では書き切ることができないことを含んでいるので割愛しますが、むしろ、歌詞を読んで感じたことがたまたま僕の真意と同じならそれはそれで嬉しいことですし、違ったとしても、その人の中での天獄がその人にとって機能するなら、それはそれで有意義なことです(本来は、すべての楽曲に対してこう言うのがミュージシャンとしてあるべき姿だと思うのですが)。

シンフォニックかつメタリックな曲調に、狂おしく叫ぶような狩姦のギターソロ、そして黒猫の哀絶を湛えながらも厳然とした歌声。空想とはいえ、天獄の存在を少しだけ信じられるような威光を放つ楽曲だと思いますし、陰陽座としては新しいとも言えるし、らしいとも言える、という絶妙なバランスに仕上がっていると思います。



| 楽曲解説 | 16:50
「千早振る」
 

『風神界逅』の「神風」が己の中で神風を起こすというものであるのと同じく、この楽曲は己の中で雷にも似た力を漲らせるという意志を歌ったものです。千早振るなどにかかる枕詞ですが、強い勢いや荒々しさも意味しますのでかみなりにもピッタリの枕詞だと思います。自己の中で漲らせた雷ではためかすのは鬨の声と信念の旗手です。

まさにストロングスタイル、黒パンレスラーと言うしかないギターリフが、陰陽座の懐古も革新も関係なし!清濁併せ呑む!やってやるって!という心意気を表明していると思います。個人的には、このリフが出来たときはかなりの手応えを感じましたし、単なるイントロのリフという位置付けに止まらず、そのままサビを背負って立つ男(?)になり得るという直感もありそのように構成してみたわけですが、それをバックに雄々しく歌い上げる黒猫の歌の男前っぷりに痺れます。男性が歌う場合、こういうものはただただ力強く荒々しく歌ったほうが効果的な場合が多いですが、女性が歌うなら絶妙なバランスが命だというのが僕の持論であり、個人的な嗜好です。それは歌い方云々よりも持って生まれた声の力によるところが大きいため、黒猫がこういう声を持って生まれてきてくれたことに感謝するしかありません。



| 楽曲解説 | 16:46
「人首丸」
 

攘夷の名のもとに非業の死をとげた、まつろわぬ民の美少年人首丸(ひとかべまる)を題材にした楽曲です。人首丸を本気で掘り下げようと思ったら、組曲仕立てで大作が書けてしまいそうな物語があるわけですが、今回のこの楽曲では敢えて一族の誇りを賭して果敢に闘う様とその意志のみを抽出し、それを直接的に音にすることでシンプルな楽曲に仕上げました。人首丸の父親は悪路王であるとする説が有力だそうですが、「道理で!」と膝を打ってしまうような、そんな楽曲です。親父の背中を見て息子が育つということでしょう!

この曲はとにかく突進するギターリフとその原動力たる強力なドラムが聴き所ですが、招鬼・狩姦のギターソロがめちゃくちゃ格好良いです。それぞれの持ち味を前面に押し出しながら、最後の一人になるまで戦い抜こうとする一族の結束や覚悟がビンビン伝わってきます。

そしてヴォーカルパートはほとんど咆哮のみ、という感じなので「これは黒猫不在か?」と思ってしまうと思いますが、リードヴォーカルではなくサブ的な叫び声の中に猫が3匹(3箇所)隠れていますので、是非探してみてください。黒猫が、ライヴでたまに信じられないほどブルータルな叫び声を発することがあるということを知っている方なら、よく聴けば見つけられると思いますよ。



| 楽曲解説 | 16:45
「夜歩き骨牡丹」
 

有名な鳥山石燕画の骨女は『牡丹灯籠』の弥子を描いたものだそうですが、この曲の題材はそれとは別の骨女です。生前醜いと蔑まれた女性が、死んでから骸骨の容姿がいいことに気づき、人に見せるため町をそぞろ歩いたというものだそうです。この妖怪に言いしれぬ女性の性(さが)と良い意味での滑稽味、そして凄絶な色気を感じ、この楽曲が生まれました。

恐ろしさすら感じさせる女性の美への執着をヘヴィメタルなリフで、客観的にそれを見たときに禁じ得ない滑稽さを軽快なリズムとメロディで、そして匂い立つような凄みのある艶っぽさを歌声で、それぞれ狙い通り形にすることができました。

随所で聴ける黒猫独自のコブシを活かした歌唱と和音階を敢えて多用したフレーズが非常に効果的なフックになっており、和音階さえ使えば日本的になる、という考えを持たない陰陽座の楽曲の中では異彩すら放つ楽曲になっていますが、それでいてむせかえるほど陰陽座らしいという絶妙な仕上りであると確信しています。

実は変拍子が繰り返される楽曲構成でありながら、難解さや複雑さは微塵も感じず、ただただ楽曲や歌が表情豊かに展開する、という気持ちで聴けるように仕上がったことにも手応えを感じています。



| 楽曲解説 | 16:44