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「累」
  

13分に迫る大作ですが、題材はもちろん、江戸時代に大流行した物語『累ヶ淵』です。さらに言えば、そのお話の元となった、実際にあったとされる事件とその登場人物の心情を主題とした楽曲です。当然のことながら、単なる怪談的に語るのではなく累(るい)や助(すけ)といった登場人物の気持ちになって物語を紡ぎました。

『累ヶ淵』の筋については本やインターネットなどで触れてみていただきたいと思いますが、語弊を恐れず要約すると、顔が醜いというだけで疎まれ、実母あるいは義父に命を奪われた少女(助)と、まったく同じ理由で夫に殺害された、少女(助)の妹にあたる女性(累)が、後に血縁の少女を憑代に化けて出るも、偉いお坊さんの念仏と説教により成仏するというお話です。多少ディテールに差はあるものの、大筋ではこれが『累ヶ淵』という物語です。僕はこの『累ヶ淵』をずっと楽曲の題材にしたいと構想を温めていましたが、時代性などを考慮すれば一概に現代の我々が非難することができないはずの親による子殺しにも、絶対に許しがたい例というものはある、という点に最も拘って物語りを脚色しました。

その昔、生んでしまったもののどうしても喰わせていくことが困難で、泣く泣く我が子を手放す(生死は別として)ということは決して珍しいことではなかったようですが、その根底にあるのは「むざむざひもじくて辛い思いをさせるくらいなら」という慈悲や哀れみでなければなりません。しかし『累ヶ淵』の資料には(少なくとも僕が参照した多くの資料はすべて)助が殺された経緯について顔が醜いことを疎ましく思った義父(実母)がその命を…”と記述されています。それはつまり、その子のことを哀れに思っての行為ではなく、単に利己的な、それも容姿などというくだらないことの優劣のみで命を破棄したということを裏付けています。疎ましいとは何事かと。そのような行為に、言葉にもできないほどの凶悪さと下劣さを感じるのは僕だけではないでしょう。助の妹である累も、命を助けたことが縁で夫婦になった夫に、同じような理由で殺されてしまうのです。

僕がこの「累」という楽曲で果たしたかったのは、そんな理由で殺された助と累という2人の女性の仇討ちです。最後にお坊さんの念仏で除霊されてメデタシメデタシ、という筋にもまったく納得がいきません。贖うべき殺人者が守られ、殺された者が悪霊として退散させられるとは何事なのかと。その理不尽さを、せめて自分の楽曲の中だけででも改め、化けて出てきた累と助に、思いを遂げる自由を与えてあげたいと願って完成したのが、この「累」です。 

2人(累と助)が憑依したかのような圧倒的な説得力を持った黒猫の歌声といい、それをギターで表現した招鬼・狩姦のソロといい、物語に魂の鼓動を刻む誠さんのドラムといい、場面ごとに必要不可欠な雰囲気を演出する阿部さんのピアノといい、すべての面で、実際の言い伝えや伝承をもとにした陰陽座の大作的楽曲の中でも出色の完成度だと確信していますし、これこそ陰陽座にしかできないタイプの音楽だと言い切りたいと思います。



| 楽曲解説 | 16:39