全収録楽曲解説
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アルバム『風神界逅』と『雷神創世』の全収録楽曲を解説した

セルフライナーノーツを書いてみました。


音楽作品を作者自らが言葉で解説するなど

蛇足以外のなにものでもありませんが、

意図を理解することでより楽曲を楽しめる

という方のために書いてみたものです。


「音楽に能書きなどいらぬ!」という方にとっては

無用の長物ですので完全にスルーしてください。

また、もう店頭到着日なので発売中と言えなくもないですが

厳密には発売前ですので「事前に余計な情報を入れたくない!」

という方もスルーしてくださいね。

もし、発売後にアルバムを聴いてどこか

気になったこと(曲)があったら

そのときは改めてお読みください。


作り手本人が書いているということで、

楽曲の制作意図の解説としては

理論上、最高精度だと思われます。

といっても、雑誌のインタビューなどは精度そのものよりも

聞き手によって微妙に変化する

会話の流れを楽しむためのものですので

本人が自分だけで書いたものよりも面白い話題が

引き出されていることもあります。

ですので、これはこれとして、

それはそれとして楽しんでいただければと思います。


アルバムを2枚制作した意図など、

全体に関わることも逐一書き連ねていたのですが

さすがにそれは各種取材でさんざん答えていますので

むしろ大幅にカットされがちな

各楽曲に特化した解説だけを公開することにしました。

FC会報誌に掲載されたコメントを

大幅に加筆したものが基になっていますが

何倍ものボリュームになっていますので

すでに会報誌をお読みの方も是非読んでみてください。


文字数制限がないので書きたいことを

書きたいだけ書こうと思っていましたが、

そうするととても読む気になれない長文になってしまったので

結局、かなり削ぎ落としてしまいました。

ですのでこの解説が楽曲を完全に解き明かしている

ということはまったくありませんが、

楽曲を楽しむためのほんのスパイスという位置付けで

『風神界逅』『雷神創世』に

パラパラっと振りかけていただければ幸いです。


各楽曲に飛びやすいよう記事を分け、

上から降りていけば収録順に読めるようにしてみましたが、

そもそもこのブログの仕様をあまり分かっていないようなので

ちゃんとそうなっているのか自信はありません。

どうか読みやすくなっていますように…


| 楽曲解説 | 17:08
11th Album『風神界逅』
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をキーワードとして制作された、陰陽座の11作目となるアルバム。優しいそよ風から凶悪な暴風まで、風という言葉から連想されるイメージ同様、このアルバムに収録されている楽曲の振り幅は非常に広くなっています。しかし、これまでも様々な要素を楽曲に取り入れながらその音楽性を拡大させてきたのが陰陽座です。振り幅の広さ自体は今さら言うほどのことではないかもしれません。むしろ、振り幅をいかに拡げようとも決して失わない核たる部分に陰陽座の矜恃を感じていただけると思いますし、のみならず、新たな陰陽座の音楽世界の幕開けをも感じていただける、そんな作品に仕上がっていると断言したいのがこの『風神界逅』です。

『風神界逅』『雷神創世』両方に言えることですが、それぞれ風か雷に関係している楽曲しか入っていないというわけではありません。あくまでも創作上のキーワードとしての風と雷であり、イメージを限定するためではなく拡げるためのキーワードですので、一つのイメージに凝り固まった楽曲ばかりが入っているのでは、という心配はご無用です。安心してお楽しみください。



| 楽曲解説 | 17:06
「風神」
 

凪からそよ風、そして何かの始まりを感じさせるように吹き抜ける一陣の風をイメージした、『風神界逅』という作品全体のオーバーチュア(序曲)です。さらに、今回の2作を同時に買ってくださった方の大半が『風神界逅』から聴き始めることを想定した上で、新作(2作)の幕が開く瞬間に抱く期待感を最大限に盛り上げるための序曲、という気持ちも込めました。

メロトロンの穏やかな音色を中心に展開する前半部分は古き良きプログレッシヴロックを彷彿とさせ、風が吹き込むが如きオーケストレーションを中心とした後半部分は何かしらの劇中音楽のような高揚感を感じます。

『風神界逅』の曲作りに於いては比較的序盤に完成したこの曲ですが、曲作り期間の間、毎日この曲のデモを聴いてから「よし、始めるぞ!」と気持ちを盛り上げていました。



| 楽曲解説 | 17:06
「神風」
 

「風神」の余韻を切り裂いて飛び出してくるイントロ、サビ、ギターソロと、まさに陰陽座の直球と言うべき楽曲。神風とは神の威により吹く超常的な風のことですが、神という存在を自分自身の中にあるものと位置付けた場合、それ(神風)を吹かせるのは自分の意志と信念次第ということになる、という理念を歌っています。

もちろん、神が自分の中にあるなどと考えるのは罰当たりなことだという教義もあるでしょうし、何教のどんな教えを基にした理屈かと言われると何教でもない自分の考え、としか答えようがありませんが(僕自身は必要がないので一切の信仰を持っていませんが、人知を越えた力や現象は確実に存在していると思うのでという言葉にも存在意義があるというスタンスです)、なぜそう位置付けたかと言えば、神が天に在ろうと海に在ろうと山に在ろうと、その存在を自分自身が信じることで初めて自分にとってのそれがそこに在る、つまり信じないならばどこにもないことになる、という理屈から、在ると言えるのは自分自身の心の中なのでは、という考えが浮かんだのです。

物の本によると、お釈迦様も「神は自分の心の中にある」と唱えられたそうですが、同じことを言っていてもお釈迦様のは本物の悟りであり、僕のは屁理屈の類です。



| 楽曲解説 | 17:05
「然れど偽りの送り火」
 

疾走するシンプルなビートとリフに哀愁を湛えながらもキャッチーな歌が乗るという、ブリティッシュな……いや、“UK”な曲と言ったほうが近いでしょうか。こういうのも大好きなのでいつかやりたいと思っていました。

歌詞の内容は、宗教そのものをどうこう言う意図が一切ないことを示すためにあえて平たく言うなら「ちゃんとしないお坊さんにちゃんとしてほしい」という内容です。ちゃんとしないお坊さんのせいで本当にちゃんとしたお坊さんに迷惑がかかるのはいけません。

仏教徒か否かに関わらず、大抵の日本人は最期にお坊さんのお世話にならないとあの世に行けない、または行けないような感じになっています。それ自体は社会の成り立ちとして特段の理由がない限り拒絶する必要もないと思いますが、お坊さんに最期を委ねるときは無条件の信頼を寄せざるを得ないわけですから、お坊さんにも無条件でちゃんとしてほしい、というお話です。タクシーに乗ったら運転手さんに運転を委ねなければならないのだから、運転手さんにはちゃんと運転してもらわないと困る、ということと同じです。

誤解しないでいただきたいのは、お坊さんそのものを批判したり貶める気持ちは一切ないということです。むしろその逆で、基本的にはお坊さんに敬意を抱いているからこそ、それが揺らぎかねないことをするお坊さんに「ちゃんとしてほしい」と思ってしまうのです。



| 楽曲解説 | 17:04
「一目連」
  

一目連は暴風の神と言われる妖怪です。陰陽座の楽曲には「目々連」という、途轍もなくテンポの遅いアンニュイな楽曲がありますが(メンバーは全員その曲を大好きですが)、名前は似ていても楽曲のタイプはそれとはまるで正反対で、暴風の如きリフとギターソロが吹き荒れる、『風神界逅』きってのヘヴィな楽曲に仕上がっています。対照的なニュアンスを醸し出す男女の歌声の絡みが楽曲にもたらす陰陽座らしさも聴き所。イントロのリフに関しては手前味噌ながら出色と自負していて、思いついたときの僕の鼻息はまさに暴風の如き荒々しさでした。出来の良いリフに一目連と名付けたのではなく、一目連のリフよ来い!と思いながら作っていたこともあり、狙い撃ちが決まったという感動も大きかったようです。

歌詞は、暴風を司るが故にあまり歓迎されない存在である一目連に、音楽シーンに於ける陰陽座という存在を重ねた内容になっています。通常は陰陽座の信念や歩むべき道など、極めてポジティブな視点から自身のバンドを捉えた歌詞が多いので「たまにはネガティブな視点で書こう。それでこそ陰と陽」と思って書き始めたにも関わらず、結局はそのネガティブな状況すら暴風の如き信念で吹き飛ばし、前に向かって歩む!という内容になってしまったという……これはつまり、信念は曲げることなどできないということの証明ですね。



| 楽曲解説 | 17:03
「蛇蠱」
 

ある地方に伝わる、蛇の憑き物筋と憑いた蛇のことを蛇蠱(へびみこ)と言います。この蛇は、蛇蠱の家筋の者が憎いと思った相手の内臓に食い入って死に至らしめるほどの力を持つのですが……さて、恋をしてそれが叶わぬと分かったとき人は恋しいはずの相手を憎いと思ってしまうことがあります……これだけで、この楽曲で描かれる悲劇が想像できてしまったことでしょう。恋しい相手を殺めてしまうという意味では「道成寺蛇ノ獄」と共通するテーマであると言えますが、決定的に違うのは「道成寺蛇ノ獄」の清姫は明かな殺意を持って行為に及んだのに対し、この曲のヒロインはただ「憎い」と思っただけなのにも関わらず、特殊な境遇がゆえに悲劇が起こってしまいます。「殺人」と「過失致死」ですから、似ているようでまったく違う話ですね。蛇蠱自体の伝承は実在のものですが、上記の恋をして〜というくだりからはもちろん僕の創作です。

躍動するリズムに透明感のあるギター、そして情感溢れる黒猫の歌が心地好いほどに狂おしい、そんな楽曲に仕上っています。歌詞の韻を踏んだ部分のまとまり方と機能性もなかなかの出来ではないでしょうか。



| 楽曲解説 | 17:03
「飆」
  

旋風とも書き、せんぷうつじかぜとも言うつむじかぜがテーマの楽曲です。これも「神風」同様、どこかでそれが吹くのを期待するのではなく、己の中で信念を渦と化し、すべてを巻き上げて吹き飛ばすような風を起こさんとする意志を歌っています。もちろん吹き飛ばすのは外的なものではなく内的な迷いや憂いです。

“つむじかぜ自体は、人間にとってはほとんどの場合、単なる自然災害であってありがたがるものではありませんし、間違っても人工的に発生させる必要性などないはずのものですが、この楽曲で前向きなものとして取り上げているのは、そのつむじかぜが起こるに至る自然というものの力の漲りを、自分の中で奮い起こす力とその漲りに例えて捉えてみた、ということです。

パンチの効いたリフとツインリードギターが高速テンポで猛り狂う、ヘッドバンガーズさんいらっしゃいな一曲。その舞台で蝶のように舞い、蜂のように刺す黒猫の歌声が鮮烈を通り越して戦慄です。力任せでもなければ口先での誤魔化しでもない、れっきとした歌声をヘヴィメタルに乗せるとこうなる、という陰陽座の神髄が満開に咲き乱れた快作だと確信しています。



| 楽曲解説 | 17:02
「無風忍法帖」
  

無風とは単に風のない状態の他に、波瀾や影響がないことも指します。影響がないとは、およぼすこともおよぼされることもない、という意味です。いてもいなくても音楽シーンに何ら影響を及ぼさず、面白い波瀾の一つも起きない。まさに陰陽座は無風のバンドと評するのが相応しいと常々思います。そして、他からの影響や波瀾からも無風状態であることが好ましいという気持ちも込めたのがこの楽曲です。自嘲気味に感じるかもしれないこの歌詞のテーマですが、楽曲そのものが発する弾けた雰囲気からはそれを極めて好もしく思っているということがうかがえると思います。実際、無風状態を好もしく思うどころか無風でなければ無理とすら思っています。無風、最高!

ヨコに揺れながらタテにノリたくなるゴキゲンなリズムに、これまたゴキゲンなギターのリフ。この曲はとにかく演っても聴いても気持ちがいいです。黒猫の歌の弾けっぷりもまさにゴキゲンとしか言いようがありません。

“ゴキゲンは恐らく死語だと思われますが、僕自身が好きな言葉であることと、それに代わる言葉が見つからないため、ゴキゲンの死を3年隠すことにしました。ですのでここで使われているゴキゲンは、ゴキゲンの影武者です。



| 楽曲解説 | 17:00
「八百比丘尼」
 

人魚の肉を食べてしまったことで不死となった少女が比丘尼になり八百年生き続けるほうの八百比丘尼ではなく、マンガの神様、手塚治虫(おっと、やはり神はいますね)の不朽の名作『火の鳥』の中でも異彩を放つ中編『異形編』をテーマにした楽曲です。是が非でも『火の鳥 異形編』をお手元にご用意ください。それを読み、これを聴くことで楽しさは800%に跳ね上がります。読まなくても100%の楽しさはもちろん保証しますのでご安心を。

ちなみにこの『火の鳥 異形編』は八百比丘尼とまったく無関係のお話というわけではなく、不死が人間にもたらすものと示すものという共通したテーマを持つ2つの物語を巧みに絡み合わせ、SF的な味付で昇華させた、死生の深淵に臨む神の大傑作です。

漫画の解説しかしていないと怒られそうですが、まさにこの「八百比丘尼」という楽曲はその『火の鳥 異形編』そのものを音楽化し(ようとし)たものですので、漫画の解説そのものが楽曲の説明になってしまうのです。神の大傑作をそのまま音楽へと昇華できたのかという客観的な評価についてはさて置き、主観としては『火の鳥 異形編』の物語とテーマをそのまま音にするという試みは成功したと自負していますし、その物語を音として具現化するのに不可欠な黒猫の歌も、登場人物の心情を見事に表現していると思います。少なくとも僕の頭の中では、黒猫の歌と共に出現する火の鳥の姿が確認できました。

蛇足ですが、この曲の演奏時間を確認できる機会があったらよく見てみてください。八百比丘尼だからこの演奏時間……やっぱりこいつは変態だな、と思っていただけると思います(CDプレイヤーなどの表示は機種依存の部分ですので、もしもブックレットの表記とズレがあった場合は「仕様です」ということになりますが、大抵の機種では大丈夫だと思います)。



| 楽曲解説 | 16:59