ツアー2023『鬼神に横道なきものを』ありがとうございました
2023.10.13 Friday
先日ようやく完遂したツアー2023『鬼神に横道なきものを』。不測の苦難にまみえ、多大なご心配とご迷惑をおかけしたツアーでしたが、皆さんの惜しみない魂のおかげでどうにかやりきることができました。公演に参加してくださった方と、参加の予定はなかったものの声援を送ってくださった方、すべての皆さんに心から厚くお礼を申し上げるとともに、参加予定だった公演が延期/振替になったことで参加できなかった方に深くお詫びを申し上げます。言葉によるお詫びはいくらしてもし足りませんが、購えることがあるとすれば、次の機会にまた皆さんのもとに馳せ参じ楽しんでいただけるLiveを行うことしかないと思いますので、それが叶えられるよう弛まず精進したいと思います。
2023年は作品制作とLive活動を再開できた意義深い年になりましたが、再び歩み始めたからにはこれまで通り、上ではなく前に向かって一歩一歩着実に歩んでいくしかありません。ひとつツアーが終わったということは、また再び皆さんに会えるよう、その前にあるべきものの準備を進めていくことになります。今後の活動にもどうぞご期待ください。
とにかく、渾身のアルバム『龍凰童子』を自分たち自身も味わい尽くし、皆さんにも味わい尽くしていただくという、最高にして最幸な時間を陰陽座に与えてくださった皆さんの魂には感謝しかありません。
というわけで、以上、魂のサポートドラム土橋誠と、魂のサポートキーボード阿部雅宏と、魂を貫くギター狩姦と、魂を震わすギター招鬼と、魂を喰らうベース/ヴォーカル瞬火と、魂を抱き締めるヴォーカル黒猫と、各会場のスタッフの皆さんと、魂のチームワークで舞台裏を支えるツアークルーと、そして陰陽座が宇宙に誇る最強の魂を持ったファンの皆さんと一緒にお送りしました、陰陽座ツアー2023『鬼神に横道なきものを』でした。ありがとうございました! | - | 16:16
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ツアー2023『鬼神に横道なきものを』ガイドライン変更について
2023.07.17 Monday
ツアー2023『鬼神に横道なきものを』のご観覧ガイドラインが変更になりました。変更に至った経緯と詳しい変更点はこちらでご確認いただけますが、経緯について若干の補足をしたいと思い、こちらでお知らせすることにしました。
場内でのマスクの着用が“必須”から“自己判断”になるというのが主な変更点ですが、今回のツアー開催を発表した直後に政府方針等が修正されたこと、またそれを受けて多くの音楽イベントの実施ガイドラインも随時修正されていったことなどを鑑み、今ツアーのガイドラインをどうすべきか熟考を重ねた結果今回の変更に至りました。
結論を出すための情報収集などに時間がかかってしまい、変更のお知らせをするのが開催当日の差し迫った中になってしまったことについては率直にお詫びを申し上げます。
また、上記の諸々の状況に加えて変更の決め手となったのは、ツアー開催が真夏であるということと、陰陽座のファンの皆さんが並外れた良心の持ち主であることへの懸念でした。
“良心への懸念”とは奇妙な言い方ですが、僕たちが懸念したのはつまりこのようなことです。真夏のライヴハウスは、場所によってはどうしても灼熱の空間となってしまいます。そんな中でマスクを“必須”とした場合、あるLiveで「セットリストを内緒にして」とお願いしたときSNS上にすら一切漏洩させなかったほどの良心を持った陰陽座のファンの皆さんのことですから、「陰陽座の開催方針を乱してはならない」「陰陽座に迷惑をかけてはならない」ということを最優先してしまい、暑さや息苦しさで体調が悪くなったとしても、マスクを外すことを我慢してしまうのではないかと思ったのです。
その懸念と、数ヶ月前に政府等の方針が修正されたこと、そして現在の音楽イベントの実施状況すべてを考慮した結果、今ツアーではマスクの着用は自己判断、ということにさせていただきました。
言うまでもなく、“マスク着用の撤廃”などではなく、着けるかどうかを体調や状況にあわせてご自身で判断してくださいということですので、我慢できる状況であればずっとマスクを着用するということもできますし、体調が悪くなりそうな場合は外し、本当に体調が悪化した場合は迷わず係員に申し出ていただく──という風に、感染対策と体調保全の両面で皆さん一人一人が判断し、協力しあってできるだけ安全で楽しいLiveにしましょう、という変更内容です。
もちろん、この変更内容がすべての人にとって歓迎されるものではないことも分かっていますが、内容が逆だったとしてもそれもまた然り。どちらかを選択しなければならない中、上記のようなことを考慮した結果、今回はこのような選択をしたということでご理解いただければ幸いです。
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『龍凰童子』全曲概要解説
2023.01.30 Monday
毎作恒例のアルバム全曲解説ですが、長々とした解説はインタビュー記事などで読めるため、こちらは「だいたいどういう曲なのかだけ知りたい」という方に向けてコンパクトにまとめています。興味のある方はぜひご一読ください。
霓
このアルバムを制作する直前まで陰陽座がおかれていた境遇を雨天に例えるなら、この「霓」は文字通りその雨が上がり、ようやく晴れ間にうっすらと浮かぶ“虹”を見ている心境を表しています。今回の『龍凰童子』の構想は数年前に完了していたものですが、苦境に立たされた黒猫が不屈の精神で立ち上がったことにより生まれ得た作品、という要素は当然加味してしかるべきだったため、再び天に向かって昇る黒猫という龍の呼び水として作られたイントロダクションです。虹というものに雌雄を定める場合、“虹”が雄で“霓”が雌なのだそうで、今回の場合は黒猫という龍を呼ぶニジなので“霓”のほうを用いました。
龍葬
火葬、土葬、鳥葬──と様々な葬られ方がありますが、ここ日本だと火葬一択という現実は置いておいたとして、どんな葬られ方をされたいですか、という問いがあったとしたら“龍葬”と答えたい、というのがこの曲名の由来です。龍は音楽の化身でもあるので、自分たちが創ってきた音楽で葬られたい、という観念的な意味もありますが、“龍によって葬る”という実現不可能な方法を挙げることによる、龍葬=無理=ゆえにまだ死なない、という屁理屈から思いついた言葉でもあります。一度失いかけた声を取り戻し、意を決して歌う黒猫の勇姿、そしてそれを擁する陰陽座というバンドの“まだまだ死んでいられない”という宣言。それらを形にしたのがこの「龍葬」です。まだ死なないということは、また生きてファンの皆さんに会えるかもしれない、ということへの喜びや感謝も込められています。
鳳凰の柩
「龍葬」と同じく、この「鳳凰の柩」もタイトルに含まれる文字の意味とは真逆の気持ちが込められています。“葬”同様、“柩”という文字からも“死”のイメージが想起されるのは当然のことですが、どちらも逆説的にみなぎる“生”を表現するという意図です。鳳凰という霊獣は人間の概念からするとほぼ不死に近いほど長く生きるそうですが、その鳳凰が死んだときのために柩を用意したとすると、その時点でその鳳凰が何歳かにもよりますが、まず間違いなくその用意した人にとってはその柩は無駄になるでしょう。鳳凰はそんなに早く死なないからです。つまり、鳳凰の柩=無駄=ゆえにまだ死なない、という、「龍葬」とまったく同じ論法で“まだまだ生きる!”という宣言を歌った楽曲です。
大いなる闊歩
満を持して自分たちの往くべき道を闊歩する──今回のアルバムには、そんなバンドの心境が含まれています。それをそのまま音にしたのがこの「大いなる闊歩」だと言えるでしょう。人類初の月面着陸を果たしたニール・A・アームストロングの “これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な一歩である”という明言をもじったタイトルですが、まさにこの『龍凰童子』というアルバム、あるいは陰陽座というバンドの再起は、世の中や音楽シーンにとっては小さな一歩だが、陰陽座にとっては大いなる闊歩である、という気持ちを込めています。何者にも邪魔されることなく大手を振って往きたい道を闊歩する。人生の道行きにおいて、特に大人になってからそれができる機会はそうそうないものですが、少なくとも陰陽座というバンドの道は最初から今日までずっとそうだったということを、共に歩んでくれるファンの皆さんに感謝する曲でもあります。
茨木童子
妖怪や鬼の伝承、あるいはそれを元にした創作が好きな方にとっては説明などまったく必要ないであろう超有名鬼の一人、それがこの楽曲の題材となった“茨木童子”です。親分である酒呑童子と共に大江山に侍り京の都を荒らしまくった猛々しい鬼で、非常に多くの伝承や逸話が残っていますが、最も知られた白髪の老女に化けた姿以外にも様々な姿に変化したという言い伝えがあり、本当は女性だったという説まであるほど、とにかく変幻自在を絵に描いたような鬼でもあります。そんな魅力的な題材である茨木童子の楽曲を作るにあたり、伝承をそのまま形にしても十分だったのですが、持ち前の逞しすぎる想像力を膨らませて調合したスパイスを、ほんの少し振りかけて完成したのがこの「茨木童子」です。 伝承は数あれど、そのほとんどにおいて茨木童子は渡辺綱という侍に腕を斬り落とされます。場所や状況が変わっても、たいていの場合、腕を斬り落とされるという事象はそのままです。ここから僕が膨らませた妄想は、最終的に渡辺綱の主人(上役)である源頼光に成敗される茨木童子が、その最期だけでなく、むざむざ腕を斬り落とされたことも悔しく思い、あまりの後悔に時間を遡行(タイムリープ)して何度もその二人に挑むものの、何度戻っても必ず同じように腕を斬られ、最後は敗れる、ということを繰り返した結果、似て非なる数々の逸話が語り継がれたのでは、というものでした。時間を遡っている時点で、それが同じ時間軸で多数語られるというのは矛盾していますがそれは置いておいて、とにかく茨木童子は“腕を斬られない世界線”を求めて時間の渦をさまよったのでは、などと考えてしまったわけですね。そのためこの「茨木童子」は、正統な伝承に少し空想を加えた形で完成したのですが、これに限らず、これまでも色んな妖怪や伝承に空想をふんだんに盛り込んできた陰陽座ですから、ことさら言うことでもないのかもしれません。
猪笹王
背中にたくさんの熊笹が生えた巨大な猪の妖怪、それが猪笹王です。恐らくその山では敵なしの存在だったと思われますが、あるとき射馬兵庫という猟師に鉄砲で撃たれて死んでしまいます。その後、付近の温泉宿に化けて出た猪笹王は、宿の主人に猟師に撃たれたことを話した上で「あの鉄砲と猟犬さえなければ恨みがはらせる。なんとかしてほしい」と頼みますが、宿の主人にそれを告げられた射馬兵庫が当然それを受け入れなかったため、怒って地元である伯母ヶ峰に陣取り、道行く旅人を襲うようになります。言い伝えではその後、丹誠上人というお坊さんがこれを封じてめでたしめでたし、となるのですが、僕はこの猪笹王の「アレさえなければ自分が勝つのに」という負け惜しみをとても面白く、そして愛おしく感じてしまったため、子供のような要求をした上で再戦を申し込む猪笹王の悲哀と可愛らしさ(?)を全力で歌い上げる曲にしてみたのでした。
滑瓢
“妖怪の総大将”という肩書きで知られる妖怪、滑瓢(ぬらりひょん)。かの「ゲゲゲの鬼太郎」でもラスボスとして登場したりしたこともあり、とても強くて偉い妖怪というイメージを持っている人が多いのではないでしょうか。実のところ、総大将という肩書きに相応しい逸話はまったく存在しないのですが、総大将に祭り上げたのは水木先生ではなく、「妖怪画談」という本を書いた藤沢衛彦という人の“怪物の親玉”なる表記が元になっているという説が有力なようです。実際、滑瓢の伝承として一応語られていることといえば、知らぬ間に他人の家の中で茶など飲んでいて、「誰だ」と問うと「おれは“ぬらりひょん”だ」と答える、というものだけで、妖怪の総大将という肩書きにはやはり首をかしげてしまいます。この「滑瓢」は、時代を問わず人間社会に存在する、“どこの誰かは知らないが、誰よりも偉そうに振る舞っている人物”を“勝手に他人の家で茶をすすっている”だけなのに総大将扱い、という滑瓢の在り方になぞらえた曲ですが、誰しも仕事関係の飲み会などでそういう存在を見かけたことがあるのではないでしょうか。 ちなみにこの滑瓢という妖怪、本当は“ぬらりひょん”ではなく“ぬうりひょん”が正しいのだそうで、“ぬらりひょん”というのは誤読がそのまま広まって定着したものなのだそうですが、もはや取り返しがつかないほど定着していると思うので、この曲のタイトルも“ぬらりひょん”で間違いありません。
赤舌
赤舌とは妖怪の名前ですが、「とある農村での水源をめぐる争いの渦中に現れ、水に不自由していたほうの村の手助けをした」という伝承があるにはあるものの、その正体には諸説あり、どちらかというと名前と姿が描かれているわりには謎に包まれた妖怪と言えます。そんな風に謎の多い妖怪ほど想像力を働かせる余地があるので題材としては魅力的なわけですが、人間の争いや諍いの場に現れがちであることの他に、絵に描かれた舌を出している姿から「舌は禍いの門(“口はわざわいのもと”と同義)」という諺になぞらえ、その口が開いている間は凶である、という解釈などもされており、それらを自分なりに咀嚼した結果、とにかく人間の様々な諍いに関しての曲として完成しました。特定の何かに対してもの申すということではなく、純粋に“人間というのは常に諍う生き物だ”ということを歌っています。
月華忍法帖
忍法帖シリーズにとってスピンオフ(?)的な位置付けで作られた「卍」に始まり、「神鳴忍法帖」「氷牙忍法帖」「飯綱落とし」と紡がれてきた、“己の運命に葛藤する無敵の女忍者シリーズ”の続編。時間軸としては「飯綱落とし」で追っ手の忍者から忍法“飯綱落とし” (空中で羽交い締めにして地面に脳天を叩きつける技)を掛けられ、地面に落下した直後から始まる物語です。続き物だということを強調すると、そこに至るまでの曲を知らなければ楽しめないような気がしてしまうものだと思いますが、もちろん歌詞がそのようなストーリーとして繋がっているというだけで、音楽的にはすべて単体で楽しめるようになっていますので、そこはあまり気にせず聴いてほしいと思っています。
白峯
江戸時代に上田秋成によって書かれた読本『雨月物語』の一篇「白峯」は、西行法師が讃岐国の崇徳院の陵墓を参拝した際に崇徳院の亡霊と出会い、和歌と言説によって議論する物語ですが、この楽曲「白峯」は、その『雨月物語』の「白峯」を原典として完全音楽化を目指したものです。日本三大怨霊にも名を連ねる崇徳院は、かねてよりいつか必ず楽曲の題材にすると決めていた人物ですが、史実をもとにその一生を詳らかに描くのか、はたまた怨霊伝説に特化したものにするのか──長年構想を重ねた結果、『雨月物語』の「白峯」ほど崇徳院の人生における劇的な面を端的に表現したものはないという結論に至り、それをそのまま音楽に昇華させることに決めたのでした。崇徳院という人物がなぜ怨霊として語られることになったのか、そして怨霊と化したのが事実だと仮定して、いかにしてその御霊は救われることになったのか、それらを美しくまとめ上げた原典「白峯」を忠実に音楽化した作品として、少なくとも現時点では金字塔になったのではと自負しています。
迦楼羅
迦楼羅とはインド神話のヴィシュヌ神の乗り物だったガルダが元になった那羅延天が乗り物としていた巨鳥の名前ですが、この楽曲で描かれているのはその迦楼羅そのものの物語ではなく、もしも那羅延天が、乗り物として重宝していた迦楼羅をある日突然失ってしまったら──というように、その人にとって、あって当然のように思っていた便利な(あるいは魅力的な)物や能力が、あるとき突然なくなってしまったらと仮定し、そんな渦中で何を思うのか、ということを歌っています。失ったことを嘆くだけではなく、あくまでもその上でどう考え、どうするのか、という意志を呼び覚ます歌です。
覚悟
今作の取材において、この曲のイメージの捉え方がインタビュアーさんによってそこそこ違いがあって面白かったのですが、僕の中ではこれは泥臭くてソウルフルなハードロック、というつもりで作った曲です。言うまでもなく2023年の最新のロックなどではなく、完全にクラシック(昔の、という意味で)なロックということになるかと思いますが、今現在が何年だとか、このリフは何十年代のスタイルだというようなことは結成当時から完全に無視し、古いものでも新しいものでも自分たちが良いと思ったことはすべてやる、というスタイルで活動してきた陰陽座にとっては、いつの時代に作っても何ら違和感のないものでもあります。そして、ゴリゴリのメタルの中にこういうものを放り込んでもアルバムの完成度が揺るがないのは、ブレることなく進化と深化を積み重ねてきたからだとも思っています。
両面宿儺
両面宿儺という伝説上の鬼のすべてをここで解説するのは冗長になるため避けますが(機会があればぜひ物の本を手に取って調べてみてください)、飛騨地方で英雄と崇められるほどの人物だった宿儺を中央権力が脅威と見なし、まつろわぬ鬼の烙印を押して討伐したという伝承をもとに、鬼として歴史に名を刻まれた宿儺の無念やいかに、ということを描いたのがこの「両面宿儺」です。『日本書紀』に人ならぬ化け物と記載され、反逆者として成敗されたとされている飛騨の英雄──想像力過多な僕にとっては、書物などの情報も含め、めくるめく物語が頭を駆け巡る題材です。“二人の人間が背中合わせに融合したような異形“で、常人の倍の速度で動き、常人の倍の怪力を持っていた、という鬼としての面と、悪鬼や毒龍を退治し、地元の人々を幾度となく救った、という英雄としての面、まさにこの宿儺という人物は、その怪異としての容貌のせいだけでなく、立場によってまったく違う見られ方をしたという意味でも“両面”宿儺と呼ばれるに相応しい存在であったと想像できます。この曲の中では、陰陽座自身をそれに擬えたりもしながら(英雄的部分ではなく、嘆きの鬼という部分で)、図らずもそのような両面を与えられた一人の人物の嘆きを描いています。
静心なく花の散るらむ
「月華忍法帖」と同じく“己の運命に葛藤する無敵の女忍者シリーズ”であり、最後の死闘を描いた、ある意味での完結編にあたる楽曲。作ったときは、今作には「月華忍法帖」を収録し、こちらは次作に収録するつもりでしたが、そもそもこの『龍凰童子』自体、もしかしたら作ることが叶わなかったかもしれない作品であり、“次がある”という気持ちを排除し、やるべきことはやれるときにやったほうがいいという考えのもと、いつもより多くの曲を収録できる今作に収録することにしたのでした。自分自身、テーマ性においてもキャラクターの魅力においてもかなり思い入れのあったシリーズだったので、完結するということに寂しい気持ちがあるのも事実ですが、それでもやはり中途半端に終わることなくきっちり終わらせられたということへの感慨もひとしおです。
心悸
人体の器官の中で失ってもいいものなど一つもないことは重々承知の上で、とりわけ心臓という器官に関しては、“心臓部”という、物を動かすのに最も重要な中心部分を指す例えがあるように、その人が生きているということを最も雄弁に語る器官と捉えて間違いはないと思います。心臓が休みなく動いてくれるから生きていられる、というのは当たり前の理屈ですが、心臓が動いてくれているということ自体はまったく当たり前ではなくありがたいことであるという考えから、心臓という器官を讃える気持ちを込め、“心臓賛歌”と言うべき曲として作られたのがこの「心悸」です。自分自身はもちろん、大切な人や生き物の心臓が今日も脈打ってくれていることに感謝しながら聴いてみてください。 | - | 17:28
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特別公演2023『捲土重来』(けんどちょうらい)
2023.01.25 Wednesday
特別公演2023『捲土重来』の情報が告知されました。 今まで通りであれば「皆さん来てください!」で済むのですが、今回のLiveに関しては色々と補足したいことがありますのでここでお伝えしたいと思います。 今回のLive活動再開にあたっては順番やタイミングをあえて度外視し、とにかく今できる形で一歩踏み出すということを重視しました。そのことを理解していただくためにはどうしても長々とした文章になってしまうため、要点だけでも把握していただくためにまず最初にかなり端折った箇条書きを並べてみます。
・『捲土重来』は新譜リリースLiveではありません ・マスク着用、声出し禁止のLiveになります ・中断ツアーの再開は現在のところ未定です ・『龍凰童子』リリースLiveの実施も未定です
この内容を詳しく説明したのが下の項目ごとの長文になりますので、面倒でない方だけお読みいただければと思います。
<以下補足>
●アルバムリリースLiveではない 特別公演2023『捲土重来』はアルバム『龍凰童子』のリリースLiveではありません。それとは別で計画していたLiveがたまたまこのタイミングになったものです。久しぶりに陰陽座がLiveをやる、ということだけで十分だと思っていただける方にはぜひお越しいただきたいと思いますが、タイミング的にアルバム『龍凰童子』のLiveだと勘違いして申し込まれないよう十分ご注意ください。
●感染症対策について これについては現状、 ・マスク(不織布推奨)着用のお願い ・入場時の検温と手指消毒の実施 ・場内での会話と上演中の声出しのお断り ・37.5度以上の発熱がある方のご入場のお断り ということを予定していますが、すべてにおいて政府および自治体のガイドラインに沿っての公演実施となりますので、公演当日の状況に合わせる形になります。
●中断しているツアーについて 順番的に、Live活動を再開するなら中断したままのツアー『生きることとみつけたり【参】』の残りの公演からやるべきなのですが、これに関しては以前からお伝えしている通り、2020年以前のスタイルでLiveがやれる状況になってから中断前の各公演と同じ条件で実施したいという姿勢のままです。もちろん、そのような形でのLiveは二度とできない可能性もゼロではないため、どこかの時点で軌道修正する必要もあると思っていますが、今はまだその望みを捨てていないという状況です。長らくお待たせしている鹿児島、宮崎、熊本、大分、長崎の皆さまには大変申し訳ありませんが、もう少しだけ一緒にお待ちいただければ幸いです。
●『龍凰童子』を引っ提げたLiveについて こちらは中断しているツアーとは条件が違うため完全に以前の形での実施にこだわる訳ではありませんが、とはいえせっかくアルバム『龍凰童子』を引っ提げてLiveをやるのであれば、現状よりは良い状況の中でやりたいという意向があります。イベント実施における制限に関しては、すぐにでも大幅に緩和されそうな雰囲気もある反面、その逆に転ぶ要素が散見されるのも事実ですので、制限や感染状況を精査しながら実施を計画したいと思っています。
補足は以上になります。 色々な状況が流動的なため、せっかくLiveが決まっても補足だ何だとスッキリしないお知らせで申し訳ありませんが、とにかく形はどうあれ4月には久しぶりのLiveを予定していることと、その他のやるべきLiveに関しても決しておろそかに考えてはいないということを分かっていただければ十分です。 その上で、お越しくださる方に楽しんでいただけるLiveができるよう、メンバー/スタッフ一同魂を燃やして準備に励みたいと思います。
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謹賀新年
2023.01.04 Wednesday
明けましておめでとうございます。 2023年が皆さんと陰陽座にとって 素晴らしいものになるよう メンバー一丸となってがんばりたいと思いますので 本年も陰陽座を何卒よろしくお願いいたします。
Instagramを始めてみたのですが、 今後は込み入った長文はこのブログで、 そうでないことはInstagramを 使っていこうかと思っております。
よろしければ黒猫Instagramのついでにでも ご覧ください。
https://www.instagram.com/matatabi_omz/
| - | 16:47
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2022年ありがとうございました
2022.12.30 Friday
アルバム『龍凰童子』の制作に 明け暮れた2022年でしたが 完成までじっと見守ってくださった皆さんに 心から感謝いたします。 おかげさまで、お待たせした甲斐のある 最高傑作という言葉すら 生ぬるいを通り越して氷点下、 という作品が出来上がりました。
年が明けたらそれを皆さんに聴いてもらえて ライヴ活動再開に向かって歩み出して…と、 とにかくありがたい年越しになりそうです。
皆さんもどうぞ良いお年をお迎えください。 | - | 15:28
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瞬火誕生日ありがとう
2022.12.14 Wednesday
本日は誕生日でした。 たくさんの祝福に感謝いたします。
何と言っても今年の誕生日は 待望の新曲の発表と重なったため、 何はなくとも皆さんに「茨木童子」を 聴いてもらえたということだけで 十分胸一杯なところに 生まれたことまで祝っていただけるという、 幸せゲージが振り切る誕生日となりました。
とにかく瞬火への誕生日プレゼントだと思って 「茨木童子」を聴きまくってやってください。 皆さんが陰陽座の音楽で喜んでくれることが 瞬火族の貴重なタンパク源です。
ところで、配信サイトと端末の種類によっては 端末の言語設定が日本語になっていても バンド名が「Onmyo-za」になったり 曲名が「Ibaragidouji」になったり 色々おかしな表示になることがあるようですね。 僕の手元の端末でもなるものとならないものがあり まったくの謎ですが、 バンド側が「これからは英語表記で行くぜ!」 と言ったわけではないということだけ 分かってもらえれば大丈夫です。
せっかく日本語のバンド名で活動しているのに 日本語ベースの場で英語表記されるのは “どがいなっとるがなら”(※)と言いたいところですが、 そんなことがどうでも良く感じるくらい 今日は最幸という言葉すら生ぬるい一日でした。
本当に皆さんありがとうございました!
(※) “どがいなっとるがなら” ↓ “どうなってんだよ”
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40秒で納品しな
2022.11.19 Saturday
アルバム『龍凰童子』の作業はいよいよ 大詰めのマスタリングまで進んでいます。 これが終われば音のほうは完成です。 それに加えてアートワークの作業と 各種プロモーション(取材/撮影)などが 渾然一体となって襲ってくる 恒例の阿鼻叫喚極楽地獄の時期に入りました。
阿鼻叫喚というと苦しそうですが、 実際、悲鳴を上げながらも 自分たちの作品の隅々まで 手掛けることができる喜びを 全身で味わっていますので、むしろご褒美です。
そして最煌にイカした各種写真が SNSなどで公開されています。 特に黒猫のInstagramをチェックしていただくと 他でも見られる写真に加え、 色んなこぼれ写真その他も見られますので 発売日まで(もちろんそれ以降も) 黒猫のInstagramに注目してください。
本当に、また作品を作ってお届けできる ということに感謝しかありません。 さらにこの先へと歩み出すためにも、 とにかく無事に『龍凰童子』を皆さんのもとに お届けできるよう、最後まで弛まず励みます。 | - | 15:58
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龍凰童子
2022.10.28 Friday
停滞と決別し、ライヴを含めた 諸々の活動を再起させるための第一歩として 制作が敢行されたアルバム第15弾 『龍凰童子』(りゅうおうどうじ)。
発売日が告知されたからには 最後の仕上げも待ったなし、 この身を鬼(童子)に喰わせてでも 最高にして最煌かつ最鋼の作品を お届けするべく、引き続きがんばります! | - | 19:04
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記録線落とし
2022.09.19 Monday
新作の全パートの録音が完了しました。 生産者と料理人の情熱の結晶たる 極上の食材が目の前に並んでいる状態です。 あとはこれを極上の料理として調理するだけ。 責任重大、ガラスの十代。
ということでトラックダウンが完了するまで いましばらくお待ちください!
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